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十一 - 23(1 / 2)

「今のはね、御主人の御考ではないですよ。十六世紀のナッシ君の説ですから御安心なさい」

「存じません」と妻君は遠くで簡単な返事をした。寒月君はくすくすと笑った。

「私も存じませんで失礼しましたアハハハハ」と迷亭君は遠慮なく笑ってると、門口(かどぐち)をあらあらしくあけて、頼むとも、御免とも云わず、大きな足音がしたと思ったら、座敷の唐紙が乱暴にあいて、多々良三平(たたらさんぺい)君の顔がその間からあらわれた。

三平君今日はいつに似ず、真白なシャツに卸立(おろした)てのフロックを着て、すでに幾分か相場(そうば)を狂わせてる上へ、右の手へ重そうに下げた四本の麦酒(ビール)を縄ぐるみ、鰹節(かつぶし)の傍(そば)へ置くと同時に挨拶もせず、どっかと腰を下ろして、かつ膝を崩したのは目覚(めざま)しい武者振(むしゃぶり)である。

「先生胃病は近来いいですか。こうやって、うちにばかりいなさるから、いかんたい」

「まだ悪いとも何ともいやしない」

「いわんばってんが、顔色はよかなかごたる。先生顔色が黄(きい)ですばい。近頃は釣がいいです。品川から舟を一艘雇うて――私はこの前の日曜に行きました」

「何か釣れたかい」

「何も釣れません」

「釣れなくっても面白いのかい」

「浩然(こうぜん)の気を養うたい、あなた。どうですあなたがた。釣に行った事がありますか。面白いですよ釣は。大きな海の上を小舟で乗り廻わしてあるくのですからね」と誰彼の容赦なく話しかける。

「僕は小さな海の上を大船で乗り廻してあるきたいんだ」と迷亭君が相手になる。

「どうせ釣るなら、鯨(くじら)か人魚でも釣らなくっちゃ、詰らないです」と寒月君が答えた。

「そんなものが釣れますか。文学者は常識がないですね。……」

「僕は文学者じゃありません」

「そうですか、何ですかあなたは。私のようなビジネス·マンになると常識が一番大切ですからね。先生私は近来よっぽど常識に富んで来ました。どうしてもあんな所にいると、傍(はた)が傍だから、おのずから、そうなってしまうです」

「どうなってしまうのだ」

「煙草(たばこ)でもですね、朝日や、敷島(しきしま)をふかしていては幅が利(き)かんです」と云いながら、吸口に金箔(きんぱく)のついた埃及(エジプト)煙草を出して、すぱすぱ吸い出した、

「そんな贅沢(ぜいたく)をする金があるのかい」

「金はなかばってんが、今にどうかなるたい。この煙草を吸ってると、大変信用が違います」

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